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貴景勝母親佐藤純子(じゅんこ)さん画像!佐藤貴信を実家の芦屋で支えた母の素顔とは?

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大相撲九州場所で初優勝した貴景勝(たかけいしょう)の母、佐藤順子さんの写真画像が美人すぎる、女優のようなオーラがすごいと話題です。

1人息子の貴景勝(佐藤貴信)・長男の夢を、夫の佐藤一哉さんと支え続けた佐藤純子さん。毎月の食費に30万円以上もかけてきたというのも驚きですが、空手から相撲に転向し、夫の英才教育を支えた母親の純子さんの苦労とは?

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こちらは、貴景勝のお宮参りの時の家族写真(30歳前半)

佐藤純子さん画像が美しすぎる!

51歳とは思えない美貌の佐藤純子さん。

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49歳前後の佐藤純子さん。

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30代前半の佐藤純子さん

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29歳前後の佐藤純子さん


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0 - 貴景勝母親佐藤純子(じゅんこ)さん画像!佐藤貴信を実家の芦屋で支えた母の素顔とは?

佐藤純子さんは芦屋で夫の佐藤一哉氏と息子の夢を支えてきた

兵庫県芦屋といえば、日本でも有数のお金持ちが住む町として有名。

その芦屋生まれ芦屋そだちの一人っ子貴景勝こと佐藤貴信関は、母の佐藤純子さんや父の佐藤一哉さんととどのような生活を送ってきたのでしょうか。

父親の一哉氏は極真空手の指導者として有名な人物です。貴信少年も父の影響で空手を幼少期からはじめていました。空手から相撲に転向したのは、小学3年生のとき。

佐藤貴信くん、空手の大会で決勝戦で判定で敗れてしまったことがありました。その時に判定に納得のいかなかった貴信少年。

「空手は判定のある競技だからやりたくない。正々堂々と勝負ができるスポーツがいい」と相撲に転向することを決意。

母親の純子さんは1人息子が相撲をやることにはすごく抵抗があったそう。頭からぶつかっていくスポーツですし、母親として嫌がるのは当然です。

それでも、父親の一哉氏と息子が相撲の稽古に「本気」で励む姿を応援し、支援してきました。

貴景勝関は、とんでもない量を食べさせられていたそうです。

牛乳1日2リットルを毎日のみ続け、牛丼なら特盛3杯、マックに行けばメガマックとLポテト4個、ハンバーグ屋さんに行けばハンバーグ450グラムを3個とか考えらない量を小学生時代から食べさせていた一哉氏と純子さん。

貴景勝関は今ではすっかりハンバーグ嫌いなんだとか。

小学3年生からの2年間で増えた体重なんと40キログラム!30キロの体重が70キロになったというから驚きです。

事情を知らない人からすれば、 「病気なの? 」と思わざる得ない変化ですよね。

実際、地元では「奇人親子」と言われていたそうですよ・・。

貴信少年は「かけっこも一番速かったのに、遅くなってしまった」と言っていましたが、見た目もすっかり変わり、同級生からもいろいろな反応があったことでしょうね。

純子さん、その時はどんな思いだったのでしょうか・・母親として複雑な心境だったのかもしれません。一人っ子の貴信少年の教育をめぐって、夫の一哉さんとぶつかることがあったのかも知れません・・

それでも、純子さんは夫の一哉氏と息子の貴信少年の「圧倒的な努力」を止めることはせず、ひたすらサポート役に回り、食費に毎月30万円もかけるなど息子と旦那の夢を応援してきました。

小学生の高学年になると、芦屋から東京の貴乃花親方の部屋で開催していた「キッズクラブ」へ通って相撲の稽古に打ち込んでいました。

ちびっ子相撲大会である「わんぱく相撲」で全国2位になるなど頭角を現していった貴信少年。

西宮市の仁川学院小学校から、地元の相撲の名門報徳学園中学校に進み、全国優勝を果たします。中学生横綱まで登りつめた貴信少年。

高校は埼玉の名門、埼玉栄高校に進学。監督に声をかけてもらったのがきっかけで、日本でも有数の相撲強豪高校を選びました。高校では圧倒的な強さを身に着けていきます。

全日本無差別級で2連覇に全国大会で7冠を達成。

優勝はなかった小学生時代から報徳中学、埼玉栄高校と着実に、一歩ずつ大相撲への階段を上っていったんですね。

小学生時代に基礎を二人三脚で指導した父親の佐藤一哉氏の息子への指導の情熱は、「相撲界のチチロー(イチローの父)」のようですよね。

貴信少年の成長に母の純子さんは・・

貴景勝関の本名は「佐藤貴信」なわけですが、貴の字は貴乃花親方・信の字は織田信長と上杉謙信から取ったというお父さん一哉氏。

息子を一流の関取にするという夢を叶えるために、支え続けた20年だったのではないでしょうか。

そして夫と息子のその姿を一番近くで見て、応援し続けた純子さん。両親の全面サポートと愛情があったからこそ、貴景勝関が小結での初優勝という快挙を達成できたんですね。

貴景勝と父・一哉さん(57)の二人三脚を支えた陰には、母・純子さん(51)の存在があった。勝てば優勝が決まる14日目から九州に“前入り”。だが「(取組は)見られませんでした。会場をウロウロして勝ち名乗りを聞いて『あぁ、勝ったんだぁ』と」と明かした。

夫と息子が毎日6時間を超える稽古に励む中、母として支えた。「私は本当にサポート。食事や精神面のフォローをしていました」。食費は毎月30万円もかかっていたという。

献身的にサポートしたが「本当は最後まで(力士になることに)反対していた」。頭からぶつかる競技は心配でならなかったが「貴乃花部屋に入ったとき、腹をくくりました」。以来、急成長した一人息子は幕内優勝力士になった。優勝後、パレードで車に乗る貴景勝と一哉さんの背中を、関係者エリアから見届けた。あふれる思いに、両手で顔を覆った。

スポーツ報知「貴景勝の母・純子さん、角界入りを「本当は最後まで反対していた」…毎月30万円の食費でサポート」より引用

小学生時代から貴景勝を育てた元貴乃花親方は・・

大きく羽ばたいて。小さく闘って。温床の壁を乗り越えて。また翼を広げて。小さくても広げて。できれば大きな心で広げて。

大きくひらかないときには、神音を耳をよくすませて聴き取って。風は吹く。尊く、高く信じるものに吹く。大きく羽ばたく翼はこの心に宿る。

小さくても大きな心色は必ず育つ。誰かに理解してもらうことは、いらない。誰かにすがることは、いらない。ただ、ひたすらにその道を開け。ただ、ただ、まっすぐに扉を開けよ。心には産まれながらの音色がある。心が育つには持って産まれた器量があり、土俵の上に上がるには度量がある。

持ちこたえたら、持ちこたえた分の器ができる。思い込めば、それだけ近づける。思い込み続ければ、願いにかわる。願いを叶(かな)えるのは理解されるようなものではなく、切なく貴く儚(はかな)いもの。信じこんでやれるだけやれば死んだ気分になれる。

景勝よ、ここから先からを闘え!!

ここから先は一歩も引くな!!

しばし実父への感謝の気持ちに浸れ。

そして、新しい鍛錬を土の上でいますぐに始めよ! (元貴乃花親方)

スポニチ「貴景勝V 花田光司氏が特別寄稿「景勝よ、闘え!!ここから先は一歩も引くな!!」より引用

小学生時代、自分を慕って、兵庫芦屋から東京まで稽古にきていた愛弟子貴景勝の初優勝は、元親方の貴乃花(花田光司氏)にとっても感無量のはず・・