永吉佑也 不良の緑丘中時代!日本代表ウェアでブロックM買春に納得も

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インドネシアジャカルタのアジア大会で前代未聞の不祥事を起こした、バスケットボール日本男子代表の4名。橋本拓哉,今村佳太,佐藤卓磨,永吉佑也。

4人のうち最年長27歳の永吉佑也(永吉ゆうや)が他の3人をブロックMという繁華街に連れだしたと考えられる理由として、この永吉佑也(ながよしゆうや)の過去がかなりの不良少年だったことが判明しました。

不良「ワル」だった永吉佑也の小中学時代とは?永吉ゆうやがブロックMに連れだしたと推測できる理由とは?

永吉佑也 バスケとの出会い~現在

1991年7月14日生まれの27歳、鹿児島県出身。

小学3年の時に、父親の影響でバスケットボールを始める。

小6のときに、九州大会に出場。

中学はジュニアオールスターのヘッドコーチが指導者をしていた、鹿児島市の緑丘中に進学、ダイエットに成功し才能が開花。鹿児島県選抜としてジュニアオールスターで準優勝。

高校は北郷健二郎の指導を受けるために宮崎の延岡学園に進学。高校3年時にインターハイで準優勝。

大学は東京の青山学院大学に進学し、東芝神奈川ではNBL優勝を経験。Bリーグが発足した昨年は川崎ブレイブサンダースに在籍、Bリーク2年目の今年、京都ハンナリーズで「ビッグマン」としてセンターでプレー。

永吉佑也 ケンカばかりだった小学生時代

永吉佑也が小学3年ではじめたバスケットボールですが、もともと体が大きく、ユニフォームを手伝ってもらわないと着ることができないくらいの「ものすごく」太っていた小学生時代でした。

小学生でそれだけデブだったら、からかわれたり、いじめられたりしそうですよね。でも永吉佑也はまわりからイジられた経験はほとんどないそうです。

理由は「ケンカっぱやいから」

永吉佑也自身が認める「尖っていて問題児だった」小学生時代。

気にくわないことがあると試合中に相手のユニフォームをひっぱったり、公園などでもケンカに明け暮れていたようです。

「太っていた」コンプレックスがあったんでしょうね。いじめられないように、「とがった」ということだったのかもしれません。

体が大きくて太っていてバスケットボールをしていれば、すぐに熱くなるというのも分かる気がします。

永吉佑也 窓ガラスを割る中学生時代

バスケットボールが強く、優秀な指導者のいる鹿児島市立緑丘中学校に進学したあとも、すぐにケンカをするし、窓ガラスを割るような不良少年だった永吉ゆうや。

周りも不良ばかりの環境でした。

緑丘中というのは、鹿児島市の端の団地に位置していて、古い市営住宅か県営住宅のような団地が多く、地元のスーパーも撤退してしまうような「さびれた団地」にある中学校です。

不良が多いことで鹿児島では有名な中学校ですね。子供の数も減り続け、古い市営住宅が多いので仕方がないのかもしれません。

「暗く汚いイメージ」の緑丘中。授業はほとんど崩壊状態だと聞きます。窓ガラスを中学生が割るイメージも理解できると思います。

永吉佑也 バスケはうまくても・・

永吉ゆうやという人間の土台となる小中学校時代。

ものすごいデブでからかわれないためにケンカをくりかえした小学生から、鹿児島市緑丘中という「不良少年のメッカ」のような環境で不良少年の王道を進んだ中学生時代を過ごした永吉ゆうや。

インドネシアジャカルタアジア大会で、日本代表公式ウェアジャージを着ながらブロックMで女性とホテルに行くという前代未聞の行為に及ぶ27歳を作り上げたのかもしれません。

永吉佑也選手は謝罪会見でこう言っていました。

「食事に行くだけという認識で外出したが、食事のあとに歩いていたら現地の女性に声をかけられ、ホテルに行った。」

この言葉を真に受ける人は少ないでしょう。もともと永吉ゆうやが後輩の橋本拓哉選手、今村佳太選手、佐藤卓磨選手を誘ってブロックMに連れだしたのではないでしょうか。

また謝罪会見で三屋裕子日本バスケットボール協会会長が涙声で謝罪し、「お目付け役を派遣できれば・・」というようなことを言って悔やんでいました。三屋会長も永吉佑也の素性のことを知っていたのかも知れません。

スポーツ選手の相次ぐ不祥事。「スポーツだけやってればいい」で育てる父親や母親の責任を論じることを避ける風潮が続く限り、根本的な解決はなさそうです。